The Dream of Pavilions セルフライナーノーツ大公開の巻
2021年3月18日で環境音楽作品集”The Dream of Pavilions”をリリースしてちょうど1年になりました。
いい機会と思って、リリース当時に書いたものの発表するタイミングに困っていたライナーノーツをそっくりそのまま公開してみることにしました。
よろしければ音源と併せてお楽しみいただけたらと思います。
なお音源はbandcampでのデータ販売のほか、Apple MusicやYoutube Musicなどでの配信も行われています。
・アルバムについて
僕は高校を卒業するころに環境音楽と呼ばれる音楽に出会いました。無視することも注目することもできるその音楽には、ただ傍に居て話を聞いてくれるだけの友人のような心地良さがあると思いました。その音楽を聴きながら生活をしていると、日常のあらゆる場面でジブンの感覚の感度が変わったように感じました。毎日見る部屋や外の風景、自然的に聞こえてくる生活音や生き物の鳴き声といったノイズ、雨や風のにおい、空気の冷たさ。そういったもののひとつひとつがまるで映画のワンシーンであるかのように妙にドラマチックに感じられたのをよく覚えています。それを受けて、当時まだ心の許せる友人などひとりもいなかった僕は、僕自身の生活に寄り添うような優しい音楽を作ってみたいと思って、すぐに環境音楽の作曲をするようになりました。その後高校卒業、大学入学、震災、作曲家デビュー、バンド加入と演奏家デビューなど色々ありつつも環境音楽を作り続けてきました。このアルバムは、その出発点から30歳を迎えた今までの12年間に作ってきた環境音楽作品の中から、仕事として企業などに提供したものを除き、自らの作家性がよく出ていると思うものや思い入れのあるものをテキトウに選んでまとめたものです。
アルバムのタイトルは「パビリオンの夢」です。パビリオンというのは博覧会などで建てられる仮設の展示場のことです。音を持たないパビリオンたちが夢を見るように思い描く音楽たち、といったニュアンスです。また、建築学の世界では「別館」や「離れ」のことをパビリオンと呼ぶそうで、これまで世に放たれなかった音楽たちという意味でもしっくりくるワードでした。
ジャケットの絵はmelte(メルト)というブランドのジュエリー作家sakiko ogawaの2013年ごろのグラフィティです。彼女とは2012年から交流があり、これまでに何度も僕の音楽を絵にしてもらったり僕の楽器に絵を描いてもらったりしています。僕の作る音楽と彼女の描く絵には聴覚と視覚の結びつきを感じているので、アルバムを作るなら絶対に彼女の絵をジャケットにしたいと思っていました。譲り受けて保管していたグラフィティから最も気に入っていたものを選びました。「パビリオンの夢」というタイトルは、この絵を見ていて浮かんだものでもあります。ここに自作したフォントでアルバムタイトルとジブンの名前を入れてバランスを整えて、彼女に見てもらったところで完成としました。ジブンのこれまでの活動のまとめというのに相応しいものができたと思っています。
長い期間から選んで並べたベストアルバムのような作りになっているので、環境音楽のアルバムとしてはサウンドに統一感がないようにも思えますが、そこは逆に環境音楽のアルバムなのにバラエティ豊かなかんじにしてみようと考えました。それでもやっぱり同じ人が同じような心のもと同じような方法で作った音楽ということで、なんとなくまとまりがあるようにも感じられます。生活のあらゆる場面で聞いてみていただけると、様々な発見があるのではないでしょうか。もちろんじっくり聴いてもらえても嬉しいです。ご自由にお楽しみいただけたらと思います。
以下に各曲のちょっとした解説を記していきます。先述したように、自由に聴いて自由に感じてもらえることが一番だと思いますので、聴きどころや理想的な聴かれ方よりも、それぞれの曲の仕組みや作ったときの出来事や動機を、ただ在った事実を、淡々と記録的に載せていこうと思います。何方かの鑑賞の助けになると嬉しいです。
1.あめがふるまえに
2020年の作品。今回このアルバムを制作すると決めたとき、1曲は最新の曲を収録しようと思って書き下ろした曲です。もしジブンの描いた絵や撮った写真をどこかに展示するようなことがあったら、そこではこんな音楽が流れているといいなぁという妄想のもと制作しました。タイトルはそのこととは関係なく、なんとなく印象で付けたものです。
サウンド的には鍵盤打楽器群が其々異なる音数の音列を繰り返し奏で重なる裏で和音を鳴らすシンセ、という構造になっています。このような足し算的な環境音楽の作り方が僕は昔から得意だったように思いますし、これがジブンらしさの根源的な要素であると思います。
2.Dear Sirs Eno
2008年の作品。17歳のときに僕が初めて作った環境音楽です。タイトルからも分かる通り当時夢中になった音楽のパクリでありタブローなのですが、この時点で既に足し算的な作り方をしていたことが分かります。
この頃はYAMAHAのSOUND SKETCHERというレコーダーを使ってレコーディングを行っていたのですが、これがかなりローテクな機材でして、多重録音はできるもののトラックという概念がなく、前に録音した音の上にそのまま新しい音を重ねることを繰り返して制作します。後から各パートの音量やパンニングの設定をすることが一切できないため、はじめから完成像を予想しながら録音をしていくことになります。またパンチイン・パンチアウトといった便利な機能もないので、曲のはじめからおわりまで全部実際に演奏して録音する必要があり、どこかで演奏を止めてしまったり大きく間違えてしまったら最初から録音し直すことになります。現代当たり前にあるMTRやDAWでの録音環境と比べるとあまりにもプリミティブですが、僕にとってこの制約は制作の基本となっていて、今でも余程の意図がない限りは必ずジブンで各パートを実際に演奏して録音をするようにしています。集中力を要するなかなか大変な作業ですが、ジブンとセッションをしているような感覚が面白くもあります。
3.闇を泳ぐ
これも2008年、高校3年生の頃の作品です。これは当時使っていたシンセに入っている音色から気に入ったものを4つ同時に鳴らしたら「わ~きれい~たのし~!」ってなってテキトウに作ったやつだったと思います。調性をそこまで意識せずとも好きな和音を鳴らして繋げればそれっぽくなるということにこの時点で気付いている様子ですね。今あらためて聴くとかなり音選びが雑なように感じる部分もありますが、僕の和声感を形成するのに重要な1曲だったように思ったため収録しました。
この頃の作品は全て白石の脳内にのみ存在する架空のロールプレイングゲームのサウンドトラックという設定のもと制作されました。こういう、空想や妄想を形にするものづくりのやりかたは今でもよくやっています。
タイトルは2012年ごろから絶えず関わり合っているベーシストの渡部かをりの命名によるものです。以前2枚のピアノソロアルバムをリリースした際にも命名を依頼しました。今回もふたりで曲を聴きながら案を出し合って決めたタイトルがいくつかあります。
4.水の神殿
2011年の作品。震災後にnameshopというバンドに加入してから半年ほど経ったころに、ボーカルの柳澤澄人といっしょに作った作品です。まずはじめに僕が曲の軸となるパートを録音し、その上でふたりで自由に演奏して音を重ねていく、という作り方をしました。即興性が強いので、完成したものを客観的に聴くのが面白い作り方でもあります。当時の僕には環境音楽で微分音を鳴らす度胸がなかったので、それを臆面もなく鳴らす澄人の演奏には驚かされましたし、ジブンにないものを持っている人といっしょにものづくりをするのはこんなにも楽しいのかと感動したものでした。
タイトルは録音をしながら考えたもので、大好きなゲームに登場する地名の引用となっています。作中に実在する場所そのものではなく、僕の脳内にある別の「水の神殿」の内部ではこんな音楽が鳴っていたのでしょう。とても思い出深く、お気に入りの1曲です。
5.Image#15 一輪になった花
2012年の作品。2011年と2012年の2年間は1ヶ月に1曲ピアノ曲を作るということをしていました。これはその15曲目です。テキトウに弾いてるように聞こえますが、しっかり楽譜を書いたものを演奏しています。ちなみに楽譜は引越しの際に紛失しました。
タイトルは元々「Image#15」としか付けていなかったのですが、ベーシストの渡部かをりが直感で名付けてくれました。具体的なタイトルが付くと途端に情景が浮かんだりして妄想が膨らむ場合がありますね。作り手としても良い意味で曲がすこし僕の手元から離れていった気がします。
今回アルバムに収録された曲のなかで、1台のピアノを1回演奏してそのまま完成としている唯一の曲です。
6.地圖を広げた場所モリノス
おそらく2013年の作品。特にコンセプトや使い所を考えず、思い付くままテキトウに曲を作ってそれきりになっている曲が220曲くらいあります。これはその中の1曲なのですが、「morippoiyatu」というメモのようなタイトルが付けられてる以外何も情報がなかったので、具体的な作曲時期などは不明です。
これは環境音楽として相応しい音楽なのだろうかと迷いましたが、変わり種として収録してみました。いま改めて聴くと直したい個所があちこちにありますが、当時好きだったいろんな音楽の要素が沢山詰まっているように思います。
曲名は白石考案の「モリノス」と渡部考案の「地図を広げた場所」をテキトウにくっつけて「図」を「圖」に直してすぐ決定しました。悪巫山戯のような作り方ですが、だれかとやるものづくりなんてお互い常時半笑いでやるくらいで丁度いいと僕は本気で思っています。
7.mizubeのモチーフによる環境音楽
2018年の作品。写真家であり友人でもあるナナシマの作品『mizube』のモチーフを拝借して再構築した曲です。公開されていた原曲の説明文に「水の流れはいつも同じのようで、同じ時は訪れない。」とあるのを見て、繰り返しの音楽でも全て実演して録音するジブンの制作のスタイルによく合う言葉だと思い、カバーせずにはいられなくなったのを覚えています。
ピアノのイントロ後、ハープのような音色で延々と繰り返される2小節のモチーフが原曲のコピーになっています。そのモチーフを絶えず湧き流れる水と捉え、そこから別の小さい水の流れが生まれている様を細かい音符で表現しています。あちこちを流れるようになった水の動き全体を少し離れた所から見渡すようなイメージで、大きくゆるやかに包み込むような和音の動きを付けています。するとどうでしょう、水の流れや動きを見て楽しむモニュメントのようなものがイメージできるのではないでしょうか。それはまるで噴水のような。
8.風土
2018年の作品。栃木県益子町で3年に1度開催される土祭(ひじさい)というイベントのアーカイブ映像のBGMとして制作した3曲のうちの1曲です。実際に映像に使用されたのが『土』という曲で、もう1曲『風』という曲もあって、その2曲を同時に再生したものが今回収録した『風土』です。『土』と『風』はいわば素材であり、楽曲としては未完成で、『風土』となって完成形となります。が、映像のための音楽として考えると『風土』では音の情報が多すぎたんですね。
映像など鑑賞するのに聴覚以外の感覚も使うものに音楽を付ける作業は、その音楽自体が主役になってしまってはダメで、それでいて自らの作家性や独自性を廃してしまうのもダメという、繊細なバランスの上で成り立っているものづくりであると思います。
仕事として音楽を作ると当然作ったものが全てそのまま使われるということはまずありません。依頼を受けて作ったものの、どこにも出ずにメモリの奥底で眠ったままの曲がたくさんあります。中でも気に入っているものに関しては可能な限り生かしてあげたいですね。
9.0001000001-00000000-0011001
2013年の作品。日々生活するなかでちょっと街へ出掛けると、音楽は本当に面白くない使われ方がされているなぁと感じることがよくあります。流行歌が流れる商店街で、あちこちの店からは賑やかな音楽が競い合うように鳴っています。カフェや居酒屋ではモダンジャズが、入浴施設ではアニメ映画のBGMがオルゴールの音色で鳴っています。それはそれで「場所を説明する音楽」として機能していると言えるくらい一般的になってきているようにも思えるのですが、もっとその場に適した、その場でしか聴くことができないような音楽があっても良いのではないかと考えています。この曲はそんなことを考えるようになってきたころの作品群のひとつで、僕が昔から妄想している「メニューに水しかない喫茶店」のBGMとして制作しました。(ジブンで書いてて「何言ってんだ?」ってかんじ、します。)
ブラスっぽいシンセが鳴らす2コードの上でピアノとエレピが会話をしているような作りになっています。時折左右のどちらかから信号音のようなものも聞こえてきて、何やら意味ありげですね。タイトルを見ても察しが付くかと思われますが、僕はこういった暗号めいたものを忍ばせるのも大好きです。そういった点まで含め、ジブンらしさが色濃く出た曲だと思います。
10.Consolation#4 瞋恚のための
2019年の作品。極稀にですが、人に対して愛やリスペクトが欠片もないオトナと到底仕事とは言えないような仕事をさせられることがあります。人対人のやりとりとは思えないようなものの頼み方をしてくるオトナっているんですね。たいせつに育ててきたジブンの感性や才能を蔑ろにされて傷付いて、もう音楽なんて辞めてやろうか?というときにジブンの心をリセットするために作った曲です。何も考えずに思いつくまま録音しました。そういえば、明確にジブンだけのために作曲をしたのは大人になってからはこれが初めてだったと思います。最後にピアノのパートを録音したときに「よし、これで大丈夫だ」と強く感じたのを覚えています。
丁度そのころ、昔から一緒に仕事をしている映像作家の吉田ハレラマが彼の個人的な制作物のBGMがほしいと連絡をくれて、いくつか送った曲の中からこの曲を選んでくれて、この曲が乗った映像は行政主催のコンテストに入選して、ああ、こうやって僕は仲間が助けてくれるから生きていけてるんだなぁ、などと思ったものでした。
サウンドとしてはこれも僕が得意な足し算系の作りになっていますが、使っている音色やポリリズム、ビートとは無関係に奏でられるピアノといった点は挑戦的だったと思います。
余談ですが、この曲のみ販売している音源とサブスクリプションサービスで配信されている音源とで収録内容が若干異なります。
11.Lamentation#1 ドリーマーのための
2019年の作品。明確なコンセプトや用途を特に考えず、日記を書くような感覚で日々曲を作るように作るようにしています。(それは環境音楽に限ったことではなくピアノ曲や室内楽曲も日々作っているので、それはそれでそのうちアルバムにできたらいいなぁ・・・。)
この曲はあるゲームをプレイし終えてすぐまとめて作った3曲のうちの1曲で、あとの2曲は其々「オバケのための」「ニンゲンのための」というサブタイトルを持っています。
日々曲を書くのと同様に、好きな音色や面白いと思う音色を作って保存するということもしています。この曲で終始鳴っているシンセらしい音は少なくとも5年以上前に作ったものの使う機会が全くなかった音色でした。この音色に限った話ではないですが「そういえばこんな音あったな」と思い鳴らしてみると、そこから楽曲のヒントが得られることも少なくありません。
12.クロと珈琲
2015年の作品。フォレストヒルズ那須というホテルのプロモーション映像のBGMとして制作し、実際に使用されたものです。フルバージョンを公開するのは初めてです。既に映像音楽として世に出てるという点では「別館の音楽」とは異なりますが、この曲は僕が今までに仕事として作ったもののなかでも特に思い入れが深く、とても気に入っていてよく聴くものだったので、「これまでに作ってきた音楽をまとめたアルバムを作る」と考えたとき、必ず収録しようと決めていました。
僕は小学校低学年の頃からクロという名前のラブラドールレトリーバーの黒い犬といっしょに育ちました。いつ思い出しても愛おしい大好きな犬で、よく夢に出るくらいです。そんなクロがこのホテルにあるドッグランや足湯ではしゃいでいるのを、僕は少し離れたところでコーヒーを飲みながら眺めている。そんな妄想をしながら作った曲でした。(尤もこの曲を作った当時、僕はコーヒーを飲めませんでしたが。)
サウンド的にはこれまた得意の足し算系ですが、ほかのいわゆる環境音楽的なものと比べるとかなり陽気というか、ビート感が強く元気なかんじがしますね。そしてパクリと言われても仕方ないレベルで当時夢中になっていた音楽たちの要素も詰まっています。音楽には記憶を呼び覚ます力がありますが、それは作った側にとっても同じだと思います。僕はこの曲を聴く度に、当時夢中になっていたもののこと、これを作ったときの季節や空気のにおいのこと、そしてクロのことを考えながら作っていたことをはっきりと思い出すことができます。
13.翠を喰らう魚
2013年の作品。映像作家の吉田ハレラマらと共同で参加した、小説を映画の予告編のように短くまとめた映像を取り扱うCUTNOVEL(カットノベル)という企画に寄せた映像作品のBGMとして制作したものです。蘭郁二郎の小説『植物人間』を原作として、小説を読んだ勢いのまま制作しました。深い森の奥、そこに広がるのは青々とした色鮮やかな草木の緑ではなく、湿っぽく鬱々とした暗い藻や苔の緑、その中で蠢くものたちといったようなイメージです。曲名はそういった経緯を一切知らないはずの渡部かをりが名付けてくれました。山奥の沼のヌシを思い起こされたとのことでした。
実際に使用された曲には映像に合わせて更に音が足されていますが、今回収録したのは付け加えのない原案そのもので、曲の長さも映像が1分だったのに対しこちらはフルバージョンで3分半ほどあります。
そういえば、ここ数年の僕の作る環境音楽の傾向として、曲の長さが5分以下になるのは珍しいほうだと思います。今回アルバムを作るにあたっては、なるべくいろんなタイプの曲を収録したかったので、選曲にあたって曲の長さも重要視する要素のひとつとなりました。実は今回、各曲の収録時間を5の倍数で統一しています。(残念ながらデータを読み込むソフトなど環境によっては1秒程度の誤差が生じてしまうのですが。)それでいて全ての曲の収録時間が異なるというちょっとした仕掛けがあります。音とは何の関係もない所ですが、こういう所で遊んだり悩んだりできるのは面白いことだと思います。
14.Puddle Light
2019年の作品。これも『Lamentation#1 ドリーマーのための』などと同じように、とくに目的なく日記的に作ったものです。何も考えずに作るとどうしても足し算的な作り方になってしまいがちなので、もっと空白の多いサウンドにしてみようと思って作った作品群の中の1曲です。また、「いつもと違うことをする」という考えのもと、鍵盤だけじゃなくギターも演奏しています。僕はギターは殆ど弾けないので、この曲では2つのコードを好きなタイミングで交互に鳴らしているだけなのですが、そんな程度でも新鮮で楽しく心地いい収録でした。ちなみに他の曲でギターの音がするものがいくつかありますが、シンセの内臓音源をいじったものか自前のサンプリング音源です。
最近はこれくらい音数が少ない環境音楽も好んで作るようになってきていて、これは器楽曲や歌ものの曲を作るときのマインドにも大きく影響しているように思います。今までは環境音楽を作るときは環境音楽を作る心持ち、器楽曲を作るときは器楽曲を作る心持ちという具合に、それぞれ異なるジブンの顔を見せるようにモードを切り替えていたのですが、それが環境音楽の制作を踏まえてひとつに纏まりつつあるのを感じます。ジブンによって生まれたはずの音楽なのに、そこからジブンが形成されていくのは面白い現象だと思います。
タイトルは渡部かをり命名の「光だまり」という造語を英語化したもので、puddle(水たまり)のようなlight(光)といったニュアンスになります。実際に英語圏でパドルライトと言うと地面や壁を局所的にぼんやりと照らすLED照明のことを指すようですが、渡部はそれよりはもう少し自然的な、かと言って「陽だまり」ほど自然そのものではないイメージで名付けたのではないでしょうか。知らないけど。
余談ですが各サブスクリプションサービスでは『Paddle Light』と誤表記されています。世知辛い。
15.Monologue
2018年の作品。元々はある舞台の劇伴作品として依頼を受けて制作したピアノとヴァイオリンのための小品集の中の1曲でしたが、「大人の事情」などという子供染みたいざこざによって使われるシーンがなくなったり制作費が支払われなかったりで、挙句全部なかったことにされてしまったかわいそうな曲です。供養する意味でも今回選曲して譜面を直して録音して編集して収録しました。タイトルは元々舞台で使われる予定だった「主人公の独白のシーン」が由来になっています。アルバムを作り始めたころは『Monologue(G route ver.)』というタイトルを付けて別バージョンとして制作していましたが、これをオリジナルってことにしちゃえばいいやと思い原曲のままのタイトルに留めました。
4小節一括りで見ると非常にシンプルな機能和ですが、全体で見ると4小節毎に転調していて少し厄介なコード進行になっています。脈絡のない和声のようで実は短3度の動きが特徴になっていて、全体の統一感を形作っています。この調性感覚にはジブンらしさがよく表れていると思います。また、これほどしっかり緊張と弛緩を繰り返す機能和を用いた曲を環境音楽として扱うのはジブンにとっては希少な例だと思います。
使用した楽器はピアノ1台のみですが、録音した音を引き延ばす(再生速度を落とす)編集をしているので、本物のピアノとは変わった印象を受けるかもしれません。
ちなみにこの曲は最近になってピアノとソプラノサックスの編成で演奏してもらえたり、ピアノトリオの編成で自演するようになったりと、他の埋もれてしまった曲と比べるとかなり優遇されています。